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23.皆既日食 [星空への招待]

 去年の今ごろ、私はインドにいました。8日間ほどの「皆既日食観測ツアー」に参加するため、上高地を緊張の面持ちで出発したのは1021日、バスターミナル周辺はカラマツ の黄葉で黄金色に輝いていました。

 彗星、流星、超新星、星食、月食、日食など、ふだんの星空とは違うイベント的天文現象数々あれど、「皆既日食」ほどドラマチックで見る者を魅了するものはないでしょう。

おそらく地球上で見られるあらゆる自然現象の中で、もっともスケールが大きく、且つ美しい出来事だと私は思っています。

 太陽が月に完全に隠される現象・皆既日食。地球上のある地点に月が影を落としながら移動していきます―――。月の直径は地球の約4分の1、太陽は地球の約100倍ですから両者の実際の大きさは400倍もかけ離れているのに、太陽は月より400倍遠くにあって、私たちにはほぼ同じ大きさに見えるという、偶然というにはでき過ぎた創造の妙によって生み出されます(月が若干遠いか太陽が近い時期ですと、見かけ上、太陽の方が大きくて 完全に覆い隠すことができず“金環日食”となることもご存じでしょう)。

 日食は地球上のどこかでは年に1回くらいの割合で起こりますが、“皆既”はごく狭い地域でしか見られず、その他の地域では“部分日食にとどまるか、何も起こりません。

日本国内では1988年3月に小笠原近海で見られて以来、この次は2009年7月22日の奄美大島まで、皆既日食はおあずけです。本州で見られるものとなると2035年9月2日まで待たねばなりません。(部分日食なら、来年3月9日に全国で見られます)

                   

 一般的に何か天文現象があっても「寝ていて見なかった」とか「あとで新聞で見るまで知らなかった」という人が大半ですが、白昼堂々と繰り広げられる皆既日食に気付かない人はいないと思います。太陽が70%ほど欠けたころから辺りが夕暮れのように薄暗くなり、皆既中はコロナの輝き(満月程度の明るさ)しか残りません。気温も2、3度は下がります。動物たちも異様な雰囲気に犬が遠吠えを始めたり、鳥たちが森のねぐらに帰ったりして、私たち人間も落ち着いてはいられなくなります。やがて太陽は糸のように細く痩せ、どこからか皆既突入時間に合わせたカウントダウンの声が出始めます。

「5、 4、 3! 2! 1! 0! ・・・」 実際には0になる数秒前から「ダイヤモンド・リング」と呼ばれる月の縁から僅か漏れた光だけが輝く状態が2、3秒あって、直後、真珠色のコロナが蝶のような広がりを見せる皆既食に入ります。計算上この“皆既食の状態は最長で約7分間ですが、昨年のインドの場合はわずか52秒(実際には40数秒だったと思われます。その代わりダイヤモンド・リングの継続時間は長かったようです)。 52秒間の黒い太陽を求めて、世界中から人々が集まりました。皆既中はうす暗闇のなかシャッター音や感嘆の声があちこちで響き、独特の興奮と緊張感に包まれます。

 とにかく筆舌に尽くしがたい、この世のものとは思えない神秘的な現象で、学術的に見ても太陽観測の貴重なデ一タが得られます。コロナやプロミネンスは皆既日食中にしか見られませんし、地面には「シャドウ・バンド」と呼ばれるプールの底に届いた光の揺らめきのような、不思議な影と光が踊ります。とても一度や二度の観測で“すべてを体験する”ことなど無理なのです。 ・・・「ダイヤモンド・リング」が皆既が終了する直前にもう一度現れて、アーッと思う間もなく一瞬のドラマは終わりを告げます。あとは回復する太陽を見守るばかりで核心部、見所はこれまでです。ふたたび細い太陽が姿を見せた時点で見ていた人達もやっと“我に返る”というのか、天に向かって惜しみない拍手が送られ、言い知れない感動が襲ってくるのもこの時です。私のような者でも(?)、胸がいっぱいになって涙が込み上げてくるのですから相当なものです。天文ファンの間では“日食病”という言葉もあるほど一度見てしまったら病みつきで、皆既日食があるたびに海外遠征する人も珍しくありません。その気持ちも分かります。(そういう私自身“日食病患者”ですから…。インドは一昨年11月の南米ペルーに続いて二度目で、たとえ地球の裏側でも、今後も可能な限り“この世で一番美しい自然現象”を追いかけます!!)
                  
 10月24日に皆既日食を見て、上高地に戻ってきたのは30日の朝でしたが、釜トンネルを抜けて、出発時とは一変した寒々しい光景にびっくりしてしまいました。カラマツの葉はすっかり散って初雪(みぞれ?)も降ったといいます。真夏のようなインドから帰国したのですから尚更です。すぐにひたすら寒い霜月に突入して、インドで見てきた皆既日食がますます夢の中の出来事だったかのように感じられるのでした。  

  

「マガモ新聞」No.144(1996年11月2日、上高地ビジターセンター発行)より


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